河野通勢ギャラリー − 河野通勢(こうのみちせい)− 大正から昭和戦前期の画家

火事・父のアトリエの奇跡

父が天に召されたのは、1950 年(昭和25 年)3 月31 日でした。
その翌年、父の一回忌に、 ほんの身内の者と親しい友人だけが集まり、父のいない夕べの食卓を囲み、父の思い出に 花を咲かせていました。
尽きることなく話がはずみ、話しつかれて皆寝込んでしまいまし た。
私の隣りには早稲田大学時代の友人の久保田誠三君が寝ていました。
皆ぐっすり寝込んだその時でした。 だれかが私の横腹をドンドンと蹴ったのです。
私 がびっくりして眼を覚ましますと、誰かが私の脇に立っていました。
その姿は、一枚の白 いローブの衣で身をまとい、荒縄の腰紐をしめた老人のような人が、やや身をかがめて立 っていたのです。
その時、パチパチという音が聞こえてきました。母がもう竈で火をたき 始めたのかと思った、
その瞬間、私は力のかぎりの大声で絶叫していました。
"火事だ!!" 私と久保田君が寝ている二階の部屋の西側の障子が、真っ赤に映っているのです。私の 大きな声に驚いて、
久保田君は布団をかぶったまま立ち上がり、隣りの部屋で寝ていた友 人の佐藤大陸君は、ただちに二階の小窓から屋根瓦の上に飛び出し、
火柱めがけて突進し、 アトリエと母屋をむすぶ渡り廊下のトタン屋根の上を走って行き、火柱の所で地上に飛び 降りました。
同時に、私の声で飛び起きた階下の者たちも手に手に、水を汲む器を持って 駆け付けてきました。
そして、父が愛して止まなかった庭のプ−ルに湛えられていた水を すくい、手から手へバケツリレーの要領で火柱目がけて、
皆が必死に水をかけました。そ うしましたところ、10 メートルにもおよんでいた火柱が一瞬にして消えたのでした。

後から聞いた話によりますと、たまたま火の見やぐらで見張っていた消防士の方が火事 に気がつき、
消防士の方々も火柱めがけて駆けつけて来て下さいましたが、一瞬にして火 柱が消えてしまったものですから、
方向を見失い、うろうろしてしまったとおっしゃって いました。
その巨大な火柱の原因は、前の年の秋から翌年の春までの大切な燃料として、薪をたば ねて母家とアトリエをつないでいる
渡り廊下の屋根の下に積み上げられていた、その薪に 火がついたのでした。この年(1951 年)は乾燥続きで、
なんと前の年の11 月から4 月まで、 雨の日が一日もなかった程、乾ききっていました。
また日頃、庭でごみや落ち葉を焚いて 出来た灰が,かご一杯に集められていました。
そしてその前の日にやいた灰を、蓄えてあっ た灰の上に置いたのでした。ところが、何と置いた灰のなかにまだ、
火種が残っていたの です。この火種が半日かけて灰に燃え移り、ついに、集めた灰全体が真っ赤な火の塊にな ったのでした。
そしてその火の塊から火種がこぼれ落ち、周りに置かれた薪に燃え移った のです。そして巨大な火柱となって燃え上がったのでした。
巨大な火柱とアトリエとの間 には、大きなさわらの木と樫の木があったものですから、火柱の強烈な輻射熱を遮ってく れ、
アトリエへの類焼が免れたのでした。後で、火柱に面したアトリエの外壁を見て、ぞ っとしました。
アトリエの外壁は、黒い防腐剤がぬられた木の板張りのものでしたので、 外壁は火柱の強烈な輻射熱で、薄茶色に焦げていました。
私の発見が一瞬遅れていたら、アトリエは全焼していました。
あの時、私の脇腹をドン ドンと蹴って目を覚ましてくれた老人のような人(天の御使い?)が来てくださらなかっ たら、
父の作品は全焼していました。
この時、このアトリエには,父の残していったほとんどすべての作品が、ぎっしり詰め込 まれていたのでした。
ですから、今回の「河野通勢展」(2008 年)に出品されました殆どすべての作品が、この 焼け残ったアトリエに入っていたのでした。
翌朝、新聞に、昨夜河野通勢宅でぼやがあったと掲載されたものですから、これを見た 次男の兄・俊達(しゅんたつ)は、
昨夜遅くまで一緒に思い出話にふけって、夜遅く家に 帰っていった、その後に火事が!・・・・・そう思うと、もう目先が真っ暗になり、
最悪の情景を想像してしまいました。まだ結婚してまもない妻と、すぐ吉祥寺の家を出て、重い足取りで小金井の実家に向かったのでした。
そして、こっそり東の方へ回り道をして、実家へ 向かいました。
木立ちの合間から想像していたような、世にも無惨な画室が見えてくるかとおもっていたのに、
そのままの姿の画室が眼に入ってきたので、ひとまず安堵したのでした。
でも、部分的にでも取り返しのつかない状態になっているかもしれないと、がたがたと震える足取りで家に着いたのでした。
ところが、なんと無傷の画室が残されてあったのですから、その時の兄の喜びは、「卒倒しそうなほどの喜びだった」と、いっておりまし た。

また、水の便の本当に悪い小金井の地で、瞬時にあれ程の火柱を鎮火する事ができるなどとは、誰にも想像することができませんでした。
それにしても、父のプールがこんなにやくだった事に、皆驚いたのでした。そして、なにか不思議な神様の絶大な、
また絶妙なお力添えがあったと覚えさせられたのでした。
こうして無事に2008 年一杯をかけて、下記の日程でNHKテレビでの放映および四美術館での、
「河野通勢展」が開催される運びとなりました。本当に、心から感謝いたしてお ります。

2008 年(平成20 年)
2 月17 日 NHK教育テレビ・新日曜美術館「大正の鬼才!! 河野通勢」放映
2 月2 日〜3 月23 日 平塚市美術館
4 月5 日〜5 月25 日 足利市立美術館
6 月3 日〜7 月21 日 渋谷区立松涛美術館
11 月22 日〜2009 年(平成21 年)1 月18 日
長野県信濃美術館
(2008 年2 月10 日記)